預言の声聖書講座 第2部 第10課

教派があるのはなぜか

 キリスト教徒の中には、自分の属している教会だけが正しい教会であると考えたり、たとえ登っていく道はちがっても結局は同じ頂上に違するのだから、どの教会でも自分の都合のよい教会にいけばよいという人もいます。また聖書を土台として自分で信仰していれば教会に属さなくてもいいのではないかと考える人もいます。

 この課では教会とは何か、正しい教会の姿は何かということを、聖書と教会の歴史から学んでみたいと思います。

 教会という意味のギリシャ語(エクレシヤ)はもともと特別の目的のために集められた市民の集まりをさす言葉でした。新約時代(キリスト降誕以後)にこの言葉は、キリストを救い主と信じ、その教えに従う人々の集まりをあらわし、新約聖書の中では次のような意味に用いられています。(1)礼拝のために集まっている人々。(2)ある場所における信者の集まり。(3)全世界の神に従う人々。英語の教会(チャーチ)という言葉は、ギリシャ語のクリアコンからきたもので、「主に属するもの」という意味です。

1.教会

 今日のような教会の組織は新約時代からのものです。キリストは宣教をおはじめになるにあたって12人の弟子を任命なさいましたが、これはキリストがこの世を去られた後、地上におけるキリストの代表となるべき教会組織の第一歩でした。新約聖書の中に、教会の組織とその発展・教会のはたらき等をみることができます。特に使徒行伝は、当時の文明世界に、教会がひろがっていく様子をいきいきと描いています。1世紀末に信徒の数は、約500万に達しました。

(1)教会の性質

 エペソ人への手紙1章23節に、「教会はキリストのからだ」とあり、5章23節には「キリストが教会のかしら」とあります。かしらとからだが有機的につながっているように、キリストと教会の間こは密接なつながりがあるのです。そして教会はキリストのみ旨にしたがって動いていくのです。

 教会が、からだにたとえられていることには、深い意味があります。からだはいろいろな部分からできていますが、どの部分でもそれぞれ果たすべき特別の働きをもっていて、指1本でもなくなれば不自由になります。それと同じように教会に属する私たちはたとえ小さな存在でも、神は1人1人に対してこの世で果たすべき特別な目的をもっておいでになります。教会を構成する1人1人は神にとってかけがえのない存在なのです。

 からだは全くすばらしくつくられています。一つの行動をするにも、多くの筋肉や神経が協同して働きます。教会も神の目的を実現するためには、一致と調和が必要です。教会員はそれぞれちがった性質や能力をもっていますが、各自がキリストに近づいていくことによって、一致と調和を生みだし、教会の働きをすすめていくのです。また教会のなかには、ほんとうの愛と同情がなければなりません。コリント人への第1の手紙12章26節、27節には、「もし一つの肢体が悩めば、ほかの肢体もみな共に悩み、一つの肢体が尊ばれると、ほかの肢体もみな共に喜ぶ。あなたがたはキリストのからだであり、ひとりびとりはその肢体である」とあります。教会には神の祝福がみち、私たちが健全な生活をしていくためのあらゆる助けが与えられます。またキリストを中心とした交わりがあり、これにはいることによって喜びと心のささえを得ることができます。

 しかしすべてのクリスチャンが、キリストのからだである真の教会に属しているとはかぎりません。教会員名簿に名前がでていても、ほんとうにキリストを信じ、キリストの教えに従っていなければ、キリストのからだということはできません。

(2)教会のはたらき

 教会は伝道のために組織されました。キリストは昇天なさる前に、弟子たちにむかって、「それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ」(マタイによる福音書28章19節、20節)とお命じになりました。すべての人に福音をのべつたえることは教会が組織された目的です。

 キリストの弟子であったペテロはその手紙の中で、神の教えに従うようになった人々について、「それによって、暗やみから驚くべきみ光に招き入れて下さったかたのみわざを、あなたがたが語り伝えるためである」(ペテロの第1の手紙2章9節)といいました。

2.教会の歴史

 キリストが地上を去られたあと、いろいろな反対や迫害の中で、弟子たちはキリストの教えをひろめていきました。はじめ迫害はユダヤ人より起こり、2世紀にはいるとローマ帝国によるはげしい迫害が起こりました。それはローマ帝国の思想には、国家を最高の権威とする考えや皇帝礼拝等、神を第一とするキリスト教と根本的に相いれないものがあったからです。それにキリスト教以外の異教徒も、自分たちの勢力が圧迫されることをおそれて、全力をあげてキリスト教を撲滅しようとしたのです。しかしこのような迫害の中にあって、神の働きは着実に前進しました。「キリスト者の血は種である」とテルトゥリアヌスが、いったように、幾千の者が投獄され、殺されましたが、すぐそれにつづぐ者があらわれて宣教の働きをすすめたのです。

 しかし4世紀にコンスタンティヌス帝が出て、キリスト教は合法の宗教と認められるようになリ、ローマ帝国における迫害は終わりました。それと同時に教会の中に妥協の精神がはいってきて、神の言葉よりはなれるようになりました。

 6世紀になると教会は更に遠ざかり、神の言葉である聖書よりも、教会という制度の権威をその上において、教会会議の決議によって、聖書の教えに反するような教義を教会のなかにもちこんできました。このようなことが起こることについて、テサロニケ人への第2の手紙2章3節、4節には「まず背教のことが起こり、不法の者、すなわち、滅びの子が現れるにちがいない。彼は、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して立ち上がリ、……自ら神の宮に座して自分は神だと宣言する」とあります。教会の権威を、神の権威である聖書の上においた中世紀のカトリック教会はこの預言の成就でした。

 16世紀に起こった宗教改革において、ルターをはじめ改革者たちは、カトリック教会の聖書に反する教えに抗議(プロテスタンと)したので、プロテスタントといわれました。彼らの主張は、聖書のみが信仰と行為の基準であり、教会において聖書が最高の権威をもたなければないということでした。「人間に従うよりは、神に従うべきである」(使徒行5章29節)というのがキリストをかしらとする教会の正しい姿勢です。

 このプロテスタント精神は、信仰の自由を求めてオランダを去り、アメリカに移住する決心をした清教徒に対するジョン・ロビンソン牧師の告別説教の中にも明らかにあらわれています。彼は「キリストに従っている眼り、私に従いなさい。もし神が更に新しい真理の光を示されたらそれを受けいれるように。まだ神が今まであらわされた以上の真理と光を聖書の中にもっておいでになることを信じる」といったのです。また当時のプロテスタント教会について「現状態は残念である」といいました。その理由は「教会が、改革運動を起こした人々から一歩も進んでいないこと、すなわちルーテル派は、ルターが聖書の中に発見した真理以上に進んでいない。カルバン派の人々も、カルバン以上に進んでいない。彼らはその時代には、輝く光であったが、神の教えを知りつくしていたのではない。彼らが生きていたら、更に多くの光を受けること望んだであろう」といい、教会は聖書よりの光を全面的に受けいれていくべきであるといったのです。

 宗教改革者たちによって起こったプロテスタント教会は信仰の自由を重んじた結果、聖書の解釈や強調点を異にし、いろいろな教派に分かれてきました、もし彼らが聖書をよくしらべ、全的にこれに従ったならば、多くの教派には分かれないで一つとなるはずでした。真理は一つですから、同じ聖書を土台としている限り、教派に分かれるはずはなかったのです。  しかしロビンソン牧師も言ったように、たいていのプロテスタント教会は、その指導者が認めた真理以上には進みませんでした。その結果多くの教派が今日も存在しているのです。しかし聖書を土台とし、その教えに忠実に従っている教会が真の教会ですから、私たちは聖書にてらして、どの教会が正しいかを判断しなければなりません。

3.19世紀以後の教会

 19世紀に世界の各地で起こった再臨運動は、「その日、その時は、だれも知らない」(マタイによる福音書24章36節)という聖書の言葉に反して1844年という時を定めていたので、その時再臨は起こらず、大きな失望に終わりました。その結果多くの人々が聖書を文字通り具体的に信じることをやめました。しかし聖書に対するかたい信頼をすてなかった人々もいました。彼らは聖書には間違いのないことを確認して研究をつづけているうちに、再臨についての聖句の解釈がちがっていたことを発見しました。そしてプロテスタントの精神である「聖書のみ」という原則を守りつづけました。それが発展して今日のセブンスデー・アドベンチスト教団ができたのです。セブンスデー・アドベンチストというのは第七日安息日を守り、キリストの再臨を信じている者という意味です。彼らは宗教改革を完成する道を歩いています。今日歩くのプロテスタント教団が、聖書に明らかに示されている真理に従っていません。たとえば十戒の第4条に示されている第七日安息日を捨てています(安息日のことは11課で研究なさってください)。聖書のとおりにキリストの再臨を信じていない教団もあり、死後霊魂が、すぐ天国に行ぐと信じ、神の審判についても聖書の通りに考えていない人々もいます。セブンスデー・アドベンチスト教団は聖書の言葉に完全に従うことを目標としています。戦争中にも「あなたは殺してはならない」という十戒の第6条を守リ、青年たちも武器をとることを拒否しました。

 もと東大工学部の中野教授は、仏教の学校を経営していました。戦争中に、あるミッションスクールを訪問したとき、廊下に箱がおいてあって、生徒からお金を集めていました。ところが、その箱の番をだれもしていなくてもお金はなくならないし、ごまかす人もいません。中野教授は、自分の学校ではとてもこんなことはできないと感じました。またその学校に数名のクリスチャンの生徒がいましたが、みな模範的な学生でした。そんなことから戦争が終わったとき、教授はキリスト教を研究してみようと思ったのです。ところがキリスト教には多くの教派があるので、どの教派に行ったらいいのが、わからず、文部省に行ってたずねました。担当官は「あなたがもし本気で研究をなさるつもりならば、セブンスデー・アドベンテストにいらっしゃい。彼らは戦争中もまじめに聖書を信じ、聖書に従って行動した人たちです」といいました。そこで中野さんはセブンスデー・アドベンテスト天沼教会を訪ね1年間どの集会にも休まないで出席して聖書を学び、ついに信徒となりました。この教団は戦争中その信仰のために検挙され、解散を命じられました。その理由の一つは天皇を神として礼拝しないこと、もう一つは再臨と世界の終末を信じていることが、大東亜共栄圏をつくろうとしていた日本の国策に合わないということでした。

 しかし教団首脳部を調べた警視庁の係官は、もしクリスチャンは聖書に全的に従うものであれば、セブンスデー・アドベンチストこそほんとうのクリスチャンだといいました。そして文部省の担当官もこのことを知っていたのでした。

 真の教会は、全的に聖書に従っていなければなりません。いろいろな理くつをつけて、聖書の言葉からはなれることは神のみ旨ではありません。また神の言葉を自分の判断で取捨するならば、ほんとうに神の教えに従っていることにはなりません。はっきりした聖書の言葉を無視することは、クリスチャンのとるべき態度ではないのです。そして聖書の考えはある時代にはいれられないこともありましたが、結局それが正しいことがわかってきたのです。

 しかしセブンスデー・アドベンテストは、自分たちだけが神の民であるとは思っていません。真心からキリストを救い主としてうけいれ、神よリ与えられた光に従って生活している人々は、新しい聖書からの光が与えられれば、必ずそれに従い、真の教会に加わる人々であると思っているのです。

 19世紀の超教派的な再臨運動のあと、聖書を全面的に神の言葉として受けいれた人々がセブンスデー・アドベンチスト教団を組織したのは、1863年でした。今日(1986年)では全世界に約500万以上の信徒をもち、伝道活動のほか、教育、医療、福祉、出版など広範囲の活動を行って、終末時代の人類の必要にこたえています。かつて米国の有力紙ワシントン・ポストは「ワシントンは全世界をカバーする二つの組織の中心をもっている。一つは国務省で、もう一つはセブンスデー・アドベンチストである。そしてセプンスデ−・アドベンチストは、国務省よリ多くの言葉を用いている」と書きました。

 私たちは聖書によってどの教会が真の教会であるかを判断して、これに属するようにしたいと思います。


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