預言の声聖書講座 第2部 第7課

神を見い出した生活

神を知ることによって、人間は自分を正しく自覚し、神との関係をたもちながら、意味と価値のある生活にはいることができます。そこに新しい生活が生まれてきます。聖書はそれがどんな生活か、またいかにして実現されるかを述べていますが、この課ではその中の、結婚、家庭、教育、老後の問題等を簡単にとりあげてみることにします。家庭は社会の単位であり、社会の秩序と繁栄とは家庭の感化にかかっています。しがって家庭と、その出発点になる結婚は、私たちの生活にとって、きわめて重要な意味をもっています。今日離婚がふえ、家庭が崩壊しつつあるとき、結婚と家庭についての正しい考えを学ぶことは、ますます重要になってきています。

 「何に成功しても、子供に失敗すれば幸福ではない」といった人がいます。有名な教育者ペスタロッチは、「教育の土台は信仰である」といいました。教育は今日の日本の大きな問題ですが、聖書は、教育のあり方に光を投げています。

 老後の問題も、今日の社会の大きな問題です。聖書はどんな導きを与えているでしょうか。

1.最初の結婚

 最初につくられた人間はアダムと名づけられた男性でした。神がつくられたすべての生き物には伴侶が与えられていました。アダムには伴侶があリませんでした。そこで神は、「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」(創世記2章18節)といわれました。良くないというのは満足ではなかったという意味です。そこで神はアダムの脇からとられたあばら骨で、最初の女性エバをつくられました。E・G・ホワイトは、「これは、彼女がかしらとなって彼を支配するのでもなく、また彼よリ劣ったものとして、その足もとにふみつけられるものでもなく、彼のかたわらに、彼とひとしいものとして立ち、愛せられ、また保護されるためであった。男の一部分であり、その骨の骨、その肉の肉として、女は男の第二の自己であった。この事実は、結婚において存在すべき密接な結合と、愛情のきずなを示している」と書いています。

 アダムとエバの結婚は、それによって一生涯を通して、彼らが、成長をつづけ、神の栄光をあらわし、人々を幸福にし、自分も幸福な生活をすることができるためでした。

 悪魔は人間を誘惑して罪を犯させ、家庭を破壊しようと働いてきましたが、結婚に対する神の計画は今日も変わってはいません。神の言葉にしたがっていく人々に祝福が約束されています。

2.結婚における選択

 結婚の相手はいかにして選択したらよいでしょうか。まず年齢ですが、あまり若い人に、例えば十代では、結婚のような一生涯にかかわる判断をすることは無理です。選択にあたっては、経験者、信頼できる人の助言を求めることも大切です。コリント人への第2の手紙6章14節には、「不信者と、つり合わないくびきを共にするな」とありますが、信仰が一致しないということは、人生観や価値判断の基準がちがうことてあり、生活のいろいろな面で意見の対立が起こり、不幸のもとになります。生活能力や感情的成熟も大切な要素です。人柄についてのホワイトの勧告は、「青年は人生の重荷を共に負うに適した人、その感化が自分を向上させ、洗練し、その愛が自分を幸福にするような人を伴侶として求めるべきである。」「若い婦人は、純潔で男らしい性質を持ち、勤勉で大望に燃え、正直で神を愛しおそれる人だけを配偶者として受け入れるべきである」といっています。このような聖書の教えを知らないで配偶者を選んだ方も多いと思いますが、同じ信仰に導かれていくように努力すれば、神が助けを与えてくださいます。勿論、こう考えると結婚の範囲もせまくなり、ある場合には独身で終わらなければならないということもあるでしょう。神は1人1人に人生の計画をもっておいでになり、それはその人にとって最善の計画です。また仕事の関係で独身であることを選ぶ人もいます。そして今日社会における重要な仕事がその人たちによってなされていることも事実です。教師、看護婦、秘書、栄養士、その他あらゆる分野に女性の進出がみられます。そして彼らは男性では出来ない仕事をしています。

3.家庭における役割

 私たちは家庭の中でいろいろな役割をもっています。家庭の基本は、父一夫、母一妻と子供です。父であり夫であるものは、家庭のかしらです。夫は英語でハズバンドといいますが、E・G・ホワイトは、これはハウス・バンドの意味で、夫は強い愛情をもって家庭をまとめ、必要な助けとなるべきであるといいました。そのためには衝動的に行動するのでなく、家庭を導く者として、成熟した考えが必要です。

 次に母−妻は一家の女王であるとホワイトはいいました。妻は夫を助け、夫と対等のものとして重い責任を持っています。家をかしこく冶め、子女を養育します。子供を育てる責任は父親にもありますが、母親の感化は最も大きいものです。「ゆりかごを動かす手は、世界を動かす」というペスタロッチの言葉はこのことを述べたものです。それにもかかわらず、母親の仕事は正当に評価されていないことがしばしばありますが、神は母親1人1人の労苦をおぼえ、天使はつかれた母親を見守り、その重荷を助けてくれるのです。

 夫と妻の間には、互いに愛し合う、密接な関係が保たれていくべきことが、「ふたりの者は一体となるべきである」(エペソ人への手紙5章31節)という言葉で示されています。

 子供も家庭における責任を分担し、父母の労苦を助け、品性の訓練をうけていかねばなりません。十戒の第5条は、子供が父母に対して尊敬と服従をもって仕えていくべきことを命じています。この戒めは、永遠の生命に至る条件となっています。

4.正しい教育

 正しい教育を考える根本は、人間をいかに理解するかということです。すなわち人間は何のために生きているかということがはっきりしないと、何が正しい教育であるかということはわかりません。それと人間の現在の性質や傾向も理解しなければなりません。聖書によれば人間の生きる目的は、愛の品性を形成し、愛を生活の中に実現していくことです。それは神と人とに奉仕する生活としてあらわれてきます。したがって教育の最後の目標は品性の完成と奉仕の生活であり、ここに真の喜びと幸福があるのです。ロシアの文豪トルストイは、「人間にとって確実な幸福がただ一つある。それは他人のために生きることである」といいました。

 こう考えると、教育に関する一般の考えは、その範囲がせまいことがわかリます。教育はある勉学の課程を修めるということより、もっと広い意味をもたなければなリません。

 正しい教育としつけを受けなかった子供たちは、両親に対するこの義務をほとんど感じていません。この状態は幼時における親の責任でもあります。英国の著名な神学者ウィリアム・バークレー博士は、「非行の子供はいない。非行の親がいるだけである」と書いています。

 子供は老年の両親をやさしくいたわり、満足と平安となぐさめを与えるようにしなければなりません。

 いつか台湾からのお土産に「基督是我家之主」という額をもらいましたが、これはよい言葉です。キリストを主とする家庭は、神のみ旨を実現する幸福な家庭です。

家庭は人間の品性を育て訓練し、また安定を与える場所です。愛の交わりが家庭をつくる人々の間になければなりません。日本人は愛を表現することが下手だといわれます。積極的な愛と感謝の言葉と行動が十分にみられるようにつとめましよう。

(1)知・徳・体のバランス

 人間形成の基本的な三方面として、知育・徳育・体育があります。三育教育は、知・徳・体のバランスのとれた教育を提唱する教育原理ですが、そのみなもとは聖書にあります。その実例として、キリストの少年時代について、「イエスはますます知恵が加わり、背たけも伸び、そして神と人から愛された」(ルカによる福音書2章52節)とあります。知育、体育とともに、神と人から愛されたという品性が形成されることによって、人類の光となった偉大な生涯が実現したのです。三育教育の理念は聖書から出て、近代教育学の祖といわれるコメニウス、さらにルソー、ペスタロッチ、フレーベル等の教育学者にうけつがれました。これに著しい展開を与えたのは、19世紀から20世紀にかけて、米国の著名な宗教指導者であったE・G・ホワイトです。米国のコロンビア大学教育学部教授、フローレンス・ストラテマイヤー博士は、人間性の深い洞察に墓づいて、知・徳・体のバランスのとれた人間の完成をめざすホワイトの考えは、非常にすぐれた教育理念であるといいました。

(2)幼児期

 幼児期は品性の形成上最も大切な時期です。ホワイトも生後3年間に適切な訓練を与えることが、重要であるといい、また「子供が生まれてから最初の7年間に学ぶ教訓は、そのあと全生涯で学ぶものよりも、品性の形成に大きな関係をもっている」といいました。

 幼い時代の環境や教育が人の一生を大きく左右することは、ナポレオンの小さい時、彼の教師はいつも戦争ごっこをやらせていたし、強烈な無神論者となったボルテールは、5歳のころ無神論の詩を暗唱させられ強い影響を受けたことからもわかります。懐疑論者のヒュームは、小さい時に討論クラブに属し、信仰に反対する議論に熱中したとつたえられています。「三つ子の魂百まで」ということわざは、私たちが考えている以上に真実なのです。

 この時期に子供に教え、訓練する第一の要点は服従です。子供は最初に親に対する服従を学ばなければなりません。十戒の第5条は親に対する尊敬と服従を要求しています。この場合、服従を教えようとする親自身が、子供の尊敬と信頼と愛をかちえていなければなりません。愛は教育を有効に行うための根本の条件です。

 今日多くの母親に、小さい時に服従の習慣を養うことの必要が理解されていないので、その後のしつけにもいろいろな問題が生じています。母親も忙しいので子供のいいなりになって、最初のしつけが十分にできません。やがて子供が成長して、権威と自己の意志とを調整することができないで、両親や、教師をなやまし、社会の一切の権威に反抗するようにもなるのです。

 このようなしつけの目標は、子供が、自分で自分を治めることが、できるようになることです。すなわち社会の水準なり、承認された権威なり、あるいは神に対して、自分の立場を正当に関連づけていくことです。これができないと、秩序ある社会の一員となる資格を失うことになります。

 このような服従は、ただ何にでも盲従するのではなく、理性と良心の判断によって、当然従うべきものに服従する意志の訓練を意味します。

(3)体育・知育・徳育

 三育教育において、体の教育はその土台です。知と徳の活動は体によって表現されるので、体の健康を増進するものは、強い精神と均整のとれた品性の発達を助けます。できるだけ早くから正しい生活習慣をつけ簡単な生理学や健康に関する知識を与え、実行させなければなりません。体育というとスポーツやレクリエーションを考えますが、実際的な労働や仕事を与えることが品性にもよい影響を与えます。知育は暗記させるばかりでなく、それを消化して自分で思考、判断ができるようにすることが大切です。徳育は、品性をつくりあげるもので、人間の基本的価値です。「神のない教育は、知恵のある悪魔をつくる」といわれますが、神をおそれ、神に従うことがなければ立派な人物をつくることはできません。

5.老後の問題

 老齢化社会を目前にして、老後の問題がいろいろ取リ上げられています。あるシンポジウムで、老後のために三つのKが必要といわれていました。経済と健康と心のそなえというのです。イスラエルの王であったソロモンは、老後の生活を「悪しき日がきたり、年が寄って、『わたしにはなんの楽しみもない』と言うようにならない前に」(伝道の書12章1節)と言いました。神を知らない人生は、老齢とともに「悪しき日」にはいっていくのです。それはまず健康がおとろえてくることです。そしてそのあとにやってくるのは死です。そのシンポジウムではこの三つのKはおそくても中年から準備をしておかなければならないと考えていました。経済も、引退してから考えたのでは間に合いません。健康も早く健康的な生活にはいることが大切ですし、心のそなえも必要です。社会的責任もなくなり、日夜働き蜂のように働いてきて、ある日その仕事がなくなったとき、どこに生きがいを求めることが出来るでしょうか。ある人は趣味を養っておけばよいといいます。趣味というのは、責任のある仕事の息ぬきにやるのは意味がありますが、趣味だけに生きがいを見い出すことは無理です。自分は楽しんでも、むなしさが残ります。老人ホームで講演をたのまれると、所長さんは必ず、この方々に生きがいを与えるようなことを話してくださいといわれます。人間は愛の中に生きるようにつくられました。お花をつくって楽しむのはいいですが、そこに止まらないで、それをもって病人を見舞うとか、人を喜ばせるために用いると、自分にその喜びがかえってきます。人のために生きることは、幸福な生活の原則です。生さている限りは、何か人のためにすることはあるのです。

 ヨエル書2章28節には「あなたがたの老人たちは夢をみる」とあります。この老人たちは神を見い出し、神にたより、神に従って生きている老人たちてす。この人たちは、若い人とおなじように老後にも、神が、お与えになる夢をもっています。神に生かされているという自覚をもった生活です。石川達三は『愛の終りの時』という小説で、老後の生活をえがいています。若い時の愛が枯渇した老後の生活は、ものさびしい感じを与えます。愛が、ひからびてくれば、何によって夫婦は結ばれていくのでしょうか。彼らを結びつけるきずなを失って孤独のうちに生きていくほかはないのでしょうか。

 神を発見し、神の計画と導さにゆだねていけば、老後の生活にも光があります。ゼカリヤ書14章7節には「夕暮になっても、光がある」とあります。

 そしてやがて訪れる死に対しても、永遠の生命の希望を持って、生命を神の手にゆだねることができるのです。


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