預言の声聖書講座 第2部 第5課

人間の感覚には限界があって、すべてのものを見ることはできません。物質の単位をなしている陽子や中性子でも、直接にみることはできません。精神の世界は、肉眼でみることの出来ない世界です。人格というようなものも目にはみえません。それが体を通して表現されるのでわかるのです。聖書は私たちに肉眼にうつらない世界について教えていますが、聖書が示している目にみえない存在はまず神です。この神は世界の創造者であり、人格をもった方で父なる神とよばれています。創造の神については第1部の3課で学びました。次にイエス・キリストです。キリストは第1部の9課10課で学んだように、人となられた神です。聖書の中に神とよばれているもう一つの人格を持たれた方があります。それは聖霊です。父なる神、子なるキリスト、聖霊が聖書で示している神です。そのほかに天使のことが書かれています。天使の中には堕落した悪天使もいます。これらの見えない世界の存在は、私たち人間と密接な関係をもっているのです。

1.三位一体の神

 聖書は神の存在について、いろいろな角度から説明しています。「神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである」(ローマ人への手紙1章20節)。父なる神、子なるキリスト及び聖霊は、目的においても行動においても、完全な調和と一致を保っておいでになるのであたかも一つの人格であるかのごとく行動なさいます。したがって申命記6章4節には「イスラエルよ聞け。われわれの神、主は唯一である」とあリます。このことを三位一体といいます。この世界の創造も三位の神が協力してお働きになったのです。

2.聖霊の神

 キリストは地上を去られる前に「もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを守るべきである。わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。あなたがたのところに帰って来る」(ヨハネによる福音書14章15節−18節)といわれました。

 聖霊は地球の創造の時以来働いておいでになりましたが、キリストが地上をお去りになったあとは、キリストの代わリとして人間を助けるために、特別に地上につかわされるというのです。地上におけるキリストは体をもっておいでになったので、同時にどこにでもおいでになることはできませんでした。しかし聖霊は空間をこえてどこにでもおいでになることができますから、私たちは聖霊によってキリストと共に歩むことができます。したがって神は遠い宇宙の中心においでになるとともに、私たちと今、ここにともにいてくださるのです。聖霊は単なる感化力ではなく、人格をもった神であることを理解することが大切てす。聖霊は知性をもち(コリント人への第1の手紙2章11節)、感情をそなえ(エペソ人への手紙4章30節)、また意志をもっておいでになります(コリント人への第1の手紙12章11節)。そして一個の人格として行動なさいます。キリストがいわれた「助け主」という言葉の原語パラクレトスは「かたわらに呼ばれた者」という意味で、聖霊はいっも私たちのそばに立って、私たちのすべての必要に応じて助けてくださるのです。

3.天使

 天使も超自然的な存在なので肉眼では見えません。聖書には260回以上も天使のことが書いてあリます。まず天使の性質をしらべてみましょう。

(1)霊的な存在

 「御使たちはすべて仕える霊であって、救を受け継ぐべき人々に奉仕するため、つかわされたもの」(ヘブル人への手紙1章14節)です。

2)つくられたもの

 「その天使よ、みな主をほめたたえよ。その万軍よ、みな主をほめたたえよ。…これらのものに主のみ名をほめたたえさせよ、これらは主が命じられると造られたからである」(詩篇148篇2節、5節)。

(3)天使の力

 「それは、主イエスが炎の中で力ある大使たちを率いて天から現れる時に実現する」(テサロニケ人への第2の手紙1章7節)とあり、大きな力をもっています。天使が大きな力をあらわした例は聖書の中にいくつも記されています。

  イ.アッスリヤの軍隊

 ユダの丘ヒゼキヤは、神をおそれないアッスリヤの王セナケリブの侵入を受けた時、熱心に神に助けを求めました。その結果、列王紀下19章35節に次の記録が残っています。「その夜、主の使が出て、アッスリヤの陣営で18万5千人を撃ち殺した。人々が朝早く起きて見ると、彼らは皆、死体となっていた」。

  ロ.ししの穴にいれられたダニエル

 ダニエル書6章にはメデヤとペルシャの政冶最高責任者の1人であったダニエルが、同僚たちのねたみのため、ししの穴になげ人れられた時、一晩たってたずねてきた王にダニエルは「わたしの神はその使をおくって、ししの口を閉ざされたので、ししはわたしを害しませんでした」(ダニエル書6章22節)といいました。

(4)天使の数

 ヘブル人への手紙12章22節には「無数の天使」とあり、ヨハネの黙示録5章11節には、「その(天使=著者注)数は万の幾万倍、千の幾千倍」とあリますから、天使の数は数えることができないほど多いのです。

4.天使の働き

(1)神の使命の伝達

 「この黙示は、神が、すぐにも起るべきことをその僕たちに示すためキリストに与え、そして、キリストが、御使をつかわして、僕ヨハネに伝えられたものである」(ヨハネの黙示録1章1節)。

(2)書判の座

 「彼(神=著者注)の前から、ひと筋の火の流れが出てさた。彼に仕える者は千々、彼の前にはべる者は万々、審判を行う者はその席に着き、かずかずの書き物が開かれた」(ダニエル書7章10節)。神の国がくる前に神はすべての人を審かれます。意志の自由を与えられた人間は、その行為の責任をとらなければなリません。千々、万々の天使は、その証人となるのです。

(3)神のさばさの実行

「するとたちまち、主の使が彼(へロデ王=著者注)を打った。神に栄光を帰することをしなかったからである。彼は虫にかまれて息が絶えてしまった」(使徒行伝12章23節)。この時ヘロデ王は神のさばきを受け天使の一撃によって死んだのです。

(4)神に従う人々の助け

私たちの歩みを守り、導く天使がいることは、ほんとうに力強いことです。「あなたがたは、これらの小さい者のひとりをも軽んじないように、気をつけなさい。あなたがたに言うが、彼らの御使たちは天にあって、天にいますわたしの父のみ顔をいつも仰いでいるのである」(マタイによる福音書18章10節)とあり、また「主の使は主を恐れる者のまわりに陣をしいて彼らを助けられる」(詩篇34篇7節)、「これは主があなたのために天使たちに命じて、あなたの歩むすべての道であなたを守らせられるからである」(詩篇91篇11節)と書いてあります。天使は昔だけでなく、今日も神に従う多くの人々を助けています。

(5)再臨のときの奉仕

 再臨のときキリストとともにあらわれ、救われる人々を集めます。「そのとき、人の子(キリスト=著者注)のしるしが天に現れるであろう。またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。また、彼は大いなるラッパの音と共に御使たちをつかわして、天のはてからはてに至るまで、四方からその選民を呼び集めるであろう」(マタイによる福音書24章30節、31節)。

5.悪の起源

 はじめに罪を犯したのは天便のかしらでした。ここに悪の起源があるのです。イザヤ書14章には、「あなたはさきに心のうちに言った、『わたしは天にのぼり、わたしの王座を高く神の星の上におき、北の果なる集会の山に座し、雲のいただきにのぼり、いと高き者のようになろう』」(13節、14節)。

 そしてその結果として「しかしあなたは陰府に落され、穴の奥底に入れられる」(15節)とあります。12節には「黎明の子(英訳ルシファー)、明けの明星よ」と呼ばれていて、この言葉は天使のかしらすなわちルシファーをさしていることがわかリます。

 ルシファーはつくられたものです(エゼキエル書28章15節)。しかしすばらしい能力を与えられていました。知恵と美のきわみであリ、完全なものでした。

 天使は自由意志を与えられていて、神に従うことも、神に反逆することもできました。すばらしい能力を与えられていたルシファーの心にほこりが起こってきました。それはキリストに対するねたみとなり、ついに自分の立場に満足しないで、神の位にまであがろうとしたのです。今まで愛と奉仕の精神にみちていた天の調和は破れました。ほこりからねたみにそしてついに神につかえるかわりに、自己を神としようとしたことが、罪のはじめとなったのです。

6.天における戦い

 ルシファーの神に対する反逆についてヨハネの黙示録は、「さて、天では戦いが、起った。ミカエルとその御使たちとが、龍と戦ったのである。龍もその使たちも応戦したが、勝てなかった。そして、もはや天には彼らのおる所がなくなった。この巨大な龍、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たへびは、地に投げ落され、その使たちも、もろともに投げ落された」(12章7節−9節)と記しています。

 ミカエルというのはキリストのことで、龍は天使のかしらが堕落した悪魔です。悪魔は天で神に対する反逆をつづけることができなくなリ、地上にきてエデンの園で幸福な生活をしていた人間を、へびをとおして誘惑し、罪を犯させたのです。それ以来悪魔と悪天使たちは、たえず人間を誘惑して悪におとしいれるために活動しています。また人間が真理を認めず、あやまりを信じるように働いているのです。

 またサタンは人の間に不和をおこし、ねたみを刺激し、人の弱点に乗じて罪を犯させようとして働いています。しかしサタンの導くところは死の道です。

 聖書は「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食いつくすべきものを求めて歩き回っている。この悪魔にむかい、信仰にかたく立って、抵抗しなさい」(ペテロの第1の手紙5章8節、9節)とすすめています。悪魔というのはただ悪い影響力や感化力ではありません。実在している霊的な存在であることを知り、悪魔の働きを警戒しなければなリません。悪魔と悪天使はあらゆるところにはいりこんで、人間を不幸におとしいれ、神よりひきはなそうとしているのです。

7.悪魔と悪天使の最後

 今日の社会をみるならばだれでも罪かどんなにおそるべきものであるかよくわかります。

 神はやがて悪魔と悪天使を、他の悔い改めない罪人とともにほろぼされます。光と闇が両立できないように、神の支配なさる世界には、神の愛に反逆するねたみやにくしみその他すべての罪は永久に存在することはできないのです。「そして、彼らを惑わした悪魔は、火と硫黄との池に投げ込まれた」(ヨハネの黙示録20章10節)という言葉は天にはじまったこの戦いの結末を示しています。

8.善と悪との大争闘

(1)人の心の中で

 ルシファーは神の律法にさからって、罪の道を歩み、キリストと戦ったことがヨハネの黙示録12章に書いてありましたが、この天ではじまった戦いは、ルシファーが悪魔とよばれ、地に落とされたあとも継続して今日に至っています。この戦いは、地上から罪が完全に処理され、悪魔と悪天使がほろぼされるまでつづきます。

 エデンの園でエバを誘惑して以来、世の終わリまで悪魔は人の心に働いて神に反抗するように誘惑し、キリストに従っている人々を迫害するのです。ヨハネの黙示録12章には「年を経たへび」と呼ばれ、悪賢い方法で働き、人間の力ではこれに対抗することはできません。神の側に立つものは必ず悪魔の攻撃にさらされるのです。しかし全能の神に頼っていれば、勝利をすることができます。

(2)歴史の中で

 サタンの敵意は、キリストと神の律法にむけられていますが、同時に神が愛しておいでになる神に従う人々にも向けられているのです。そこでサタンはいろいろな権力に働いて、聖書を信じ、神に従っている人々を追害してきました。このことを軸として、世界歴史の動きのほんとうの意味を知ることができます。この世界は政治的指導者や権力によって動いているようにみえますが、実際は人の心を通して働く善と悪との争闘が原動力になっているのです。

 この争闘はキリストとサタン、善天使と悪天使、キリストに従う者とサタンに従う者、真理と誤謬、善と悪などいろいろな形をとってあらわれてきました。近代にはいってからもいろいろな宗教運動の中にこの争闘がみられます。殊に終末の時代は、サタンが、自分の時が短いのを知り、激しい怒りをもって働くのです。現代は善と悪との大争闘が頂点に達する時で、私たちは毎日どちらかの陣営についているのです。いつも神の側に立ち、悪に勝利をしていくことが大切です。


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