預言の声聖書講座 第2部 第4課

20世紀の幕が開かれたとき、人々は希望をもって明るい将来をのぞみました。今、20世紀を終えようとするとき、二つの世界大戦を含むこの期間は人類の暗い歴史でした。そして将来も明るくはありません。人口、食糧、資源、エネルギー等困難な問題をかかえこんで世界の終末ということを考える人が多くなってきました。ある人々は今世紀の終わりごろ非常に大きな危機にみまわれるだろうと考えています。聖書は罪の世界がいつまでも続くものではないと教えていますが、いつ終末がくるかという正確な時期については、明らかにされていません。もし何年何月何日ということがわかっていたら、ある人々はその日の直前まで勝手な生活をして、時がきたらまじめな生活にはいろうと思うかも知れません。しかし私たちはいつ自分の生命の終わりがくるかわかりません。また、急に悪の道からぬけ出すこともできないでしょう。ある人々は時が近づくにつれて生活も落ちつかず、浮き足立ってしまうおそれがあります。正確な時は示されていませんが、その時が近づいていることを示す前兆は聖書の中に明らかにされています。

1.聖書の終末論

 1970年になって一般に終末論に関心がもたれはじめたのは、核兵器の充実に伴う国際不安、有限な地球における人口の爆発的な増加、食糧危機、資源の欠乏等のことに気がついて、人類滅亡の可能性を感じるようになったからです。このような終末論には希望がありません。人間が神の律法に徒わなかったため、この世界は全くゆきづまると聖書は述べています。ルカによる福音書21章25節、26節に、「そして、地上では、諸国民が悩み、海と大波とのとどろきにおじ惑い、人々は世界に起ころうとする事を思い、恐怖と不安で気絶するであろう」とあります。ここに「おじ惑い」と訳してある原語はアポリアで、これは窮境、すなわち袋小路に追いつめられた状態をあらわす言葉です。罪を犯している人類は全く追いつめられて、解決を見いだすことができない絶望的な状態になってしまいます。しかし聖書はその絶望状態をこえて希望のある道を示しているのです。神に従っていた者に救済が与えられ、それは更によい世界への出発点となるのです。キリストが再臨なさるそのとき、神は、神に従っていた人々を、新しい永遠につづく神の国にうつしてくださいます。聖書の終末論は、私たちにすばらしい希望を与えています。終末は救われる人々にとっては、大きな喜びの日です。イザヤ書25章9節に、「その日、人は言う、『見よ、これはわれわれの神である。わたしたちは彼を待ち望んだ。彼はわたしたちを救われる。これは主である。わたしたちは彼を待ち望んだ。わたしたちはその救を喜び楽しもう』」とあります。

2.終末の前兆

 終末がいつ起こるかについて、聖書の中に多くの前兆が示されています。その主なものをあげてみましよう。

(1)天体にあらわれる前兆

イ.暗黒日

 人間の歴史が終末の設階にはいったことのしるしはまず天体にあらわれました。キリストは終末の預言の中で、「しかし、その時に起る患難の後、たちまち日は暗くなり、月は光を放つことをやめ(マタイによる福昔書24章29節)と言われました。「その時に起る患難」というのは、この章をはじめから読むと、中世紀において、真に聖書を信じるクリスチャンにたいして加えられた圧迫、追害を意味することがわかります。しかし、預言された迫害期聞は縮められる」(マタイによる福音書24章22節)とキリストは言われました。実際に追害がやんだのは、ルターによる宗教改革の結果、18世紀の半ばすぎでした。そのあと、アメリカ合衆国ニューイングランド地方を中心として、太陽に、特異な現象がみられたのです。1780年5月19日に太陽が暗くなりました。この事実に関して多くの記録が残っていますが、たとえば、「ウェブスター辞典1883年版1604ベージには暗黒日という項があり、『暗黒は午前10峙ごろからはじまり、戸外で数時聞、普通の印刷物を読むことができなくなり、家に灯がともされた』」と書いてあります。その夜、月は満月の翌日でしたが、明るい光をみることはできませんでした。

 ニューイングランドの多くの新聞がこの出来事を報道しています。それらを総合してみますと、19日の数日前からこの地方では、大気がしめった煙に満たされていて、肉眼で太陽を見ることができるほどだったというのです。この煙の原因については、山焼きまたは山火事によるものであったと報告されています。ハーバート大学の数学と物理学の教援であったサムエル・ウィリアムスは、風が数日の間弱く、しめった空気が分散しないで、集まったために暗黒日の状態となったと説明しています。そして夜も同じ状態が続いたので、月も光も放たず、暗くなったのです。

 これらのしるしは超自然的なものでなければならないと考えた人もありましたが、しるしとしては、そういうことが起こるということがポイントなので、どういう理由で起こってもかまわないのです。

ロ.落星

 キリストは、終末の前兆として「星は空から落ち(マタイによる福音書24章29節)と言われました。1833年11月13日に、有史以来最大の流星雨が、北米の東部で見られました。「大英百科事典によると、夜半から暁にかlナて、一つの場所で20万以上の流星が見られたのです。

(2)社会にみられる前兆

イ.科学技術の進歩

 ダニエル書12章4節に、「あなたは終りの時までこの言葉を秘し、この書を封じておきなさい。多くの者は、あちこちと探り調ベ、そして知識が増すでしょう」と預言されています。終末時代になると「知識が増す」というのです。19世紀になって聖書に関する知識も増しました。しかしいちばん著しい知識の増加は科学技術の分野です。その増加は今日に至るまで、そのスピードを増しつづけているのです。

 米国のケネディ大続領が1963年に発表した教育白書は、「過去20年間に得られた科学的情報量は、それ以前の人間の歴史の中で得られた量より多く、またこの世界のはじめから科学者とよばれた人々の90パーセントは現存しているとのベています。

 有名な歴史家アーノルド・トインビーは「人間の知識がほとんど頂点に達したことは、歴史上における現代の非常に大きな持徴である」といいました。

 しかし知識が増したことによって人間は幸福になったかというと、必ずしもそうでありません。原子エネルギーの秘密をにぎった人間は、全人類を減亡させる十分な核兵器をもつことになりました。現代の科学枝術は、ミサイルの誤差をごくわずかなものにしたといわれています。世界は縮小され、次の世界戦争は全人類を滅亡におとしいれることが予想されるのです。

 科学技術を支える倫理、良識を失えば、この世界はおそるベき危険に直面するところにきています。

ロ.国家間の紛争

 キリストは「戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。注意していなさい、あわててはいけない。それは起らねばならないが、まだ終りではない。民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう」(マタイによる福音書24章6節、7節)といわれました。ふりかえってみると人類の歴史は戦争の歴史でした。もとハーバード大学の社会学の教授であったピー・エー・ソロキン博士はかつて興味深い数字を発表しました。教授の研究によれば、過去2500年に902回の戦争と、1615回の内乱が世界のどこかで起こったことがわかリました。そして20世紀になってから起こった戦争や内乱の数は、それ以前の8倍もあったとのことです。これからも戦争の数と規模とは、ますます増大して行くに違いあリません。

ハ.世相の悪化

 キリストは「そして、ノアの時にあったように、人の子の時にも同様なことが起るであろう」(ルカによる福昔書17章26節)といわれました。

ノアのことについては、創世記6章にでています。その時の状態について、11節に「時に世は神の前に乱れて、暴虐が地に満ちた」とあります。暴力は今日世界の風潮となっています。アーサー・M・シュレージンガーは、米国について、「暴力犯罪の発生率は倍増している。犯罪統計ほどあいまいなものはないが、それでも1930年代、何百万人もの失業者が国中にあふれた大不況のころでも安全に夜歩きできたことを思い出してほしい。今日の豊かなアメリカでは、夜歩きは危険になっている」と書いています。新聞に暴力事件が報道されない日はないといっても過言ではあリません。

 創世記6章5節には「主は人の悪が地にはびこり、すべてその心に思いはかることが、いつも悪い事ばかりであるのを見られた」とあリます。

テモテヘの第2の手紙3章1節から5節までに、「しかし、このことは知っておかねばならない。終りの時には、苦難の時代が来る。その時、人々は自分を愛する者、金を愛する者、大言壮言する者、高慢な者、神をそしる者、親に逆らう者、恩を知らぬ者、神聖を汚す者、無情な者、融和しない者、そしる者、無節制な者、粗暴な者、善を好まない者、裏切リ者、乱暴者、高言をする者、神よリも快楽を愛する者、信心深い様子をしながらその実を捨てる者となるであろう」とあリますが、今日の社会にこのような姿がみられることを否定する人はないでしょう。

 またノアの時に「神の子たちは人の娘たちの美しいのを見て、自分の好む者を妻にめとった(罪がこの世界にはいったあと、神に従ったセツの子孫を神の子、神に反逆したカインの子孫を人の子といっている=著者注)」(創世記6章2節)とあリ、ただ欲望にしたがって行動している有様は、今日、性の解放を主張する一般の考えと共通しているものです。そのために男女の関係は混乱し、離婚の数も著しく増加しています。

 ノアの時代に人の悪が地に満ちて、洪水によって滅ぼされたように、今日の人類の悪に対して、神は審判を行われるのです。今日の最も深刻な危機は、このような重大な時が切追しているにもかかわらず、これを意識していないで、その日その日を過ごしている私たちの心の中にあるのです。

ニ.宗教の世界

 さてもう一つ、宗教界についての預言が、マタイによる福音書24章14節にあります。「そしてこの御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである」。現在福音を伝える働きは、全世界にすすめられていますが、セブンスデー・アドベンチスト教会だけをみても、世界の215か国のうち、約183か国(Seventh−day Adventist YEARBOOK1988)で伝道を進めています。これらの国の中に全世界の人口の98パーセント以上が住んでおり、彼らは福音に接する機会が与えられています。特にラジオやテレビ等をとおして、福音はあらゆる障壁をのりこえて、宣べつたえられているのです。この預言が成就する日もあまり先のことではないと思われます。

ホ.天災地変

 キリストは「ききんや地震がある」といわれましたが、今日の世界には異常気象や人口増加のためにききんが起こっています。また地震も増加の傾向です。海洋の底にあるプレートの運動は、地球がふるびて安定を失っているのかも知れません。預言者イザヤは「目をあげて天を見、また下なる地を見よ。・・・地は衣のようにふるび」(イザヤ書51章6節)と言っています。(プレートというのは海底にある厚さ70キロ程度の岩石層で、これが移動して大陸とおし合い、陸地の沈降、隆起をもたらすが、あるところまでいくとハネ返って大型地震が起こるという=著者注)以上述べた前兆を総合して考えると、確かに終末は近づいていると思われます。

3.用意

 終末の前兆について語られたキリストは、「いちじくの木からこの警を学びなさい。その枝が柔らかになり、葉が出るようになると、夏の近いことがわかる。そのように、すべてこれらのことを見たならば、人の子(キリスト=著者注)が戸口まて近づいていると知りなさい。…あなたがたも用意をしていなさい。思いがけない時に人の子が来るからてある」(マタイによる福音書24章32節−44節)と言われました。

 キリストを迎えるためには、どんな用意をしたらよいのでしょうか。罪を悔い改め、キリストの十字架を信じ、神にたよって生きていくことです。神は私たちの罪をゆるし、天国にふさわしい品性を成長させてくださいます。

 「思いがけない時に人の子(キリスト=著者注)がくる」とあリますが、私たちは再臨の前兆を見て、いつも準傭をしていることが大切です。18世紀の英国で有力な宗教指導者であったジョン・ウェスレーは、「今日再臨があったらどうしますか」と問われたとき、「私はいつもと変わらない生活をする」と答えたと言われていますが、そのような生活は再臨にたいする準備ができた生活です。キリストは「目をさましていなさい」(マタイによる福音書24章42節)と言われました。常に再臨をおぼえ、今日が地上の生活の最後の日であってもよいと思うことができる毎日を送ることは、再臨に対する用意とともに、本当に充実した生涯を与えるものです。


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