イエス・キリスト

--その偉大なる生涯--

11.この人を見よ

 「そのとき、イエスは声高く叫んで言われた、『父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます』。こう言ってついに息を引きとられた。百卒長はこの有様を見て、神をあがめ、『ほんとうに、この人は正しい人であった』と言った。」

 新約聖書ルカによる福音書23章46節、47節

 汚れなき神の子イエス・キリストと真正面に向い合ってことばをかわした総督ピラトは、イエス・キリストの無罪を確信したばかりではなく、彼が真理の光であることを知りました。そこでピラトはイエス・キリストをユダヤ人に引き渡す前に、万感の思いをこめて、「見よ、この人だ」(新約聖書ヨハネによる福音書19章5節)とあらためて紹介しなおしました。<この人を見よ>(Ecce Homo)ということばはこれに由来しています。

 イエス・キリストを真正面から見れば、この人がどのような人か必ずわかるはずです。しかし、彼らはイエス・キリストを見ようとはしませんでした。「彼らの場合、この世の神が不信の者たちの思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光の福音の輝きを、見えなくして」しまったのです。(新約聖書コリント人への第2の手紙4章4節参照)

 彼らはイエス・キリストの頭にいばらの冠をかぶせ、紫色の上着を着せました。しかし、それは彼を王としてあがめるためではなく、むちで打ちすえ、つばを吐きかけ、ありとあらゆるばり雑言をあびせかけ、肉体的にも、精神的にもはげしくいためつけるためでったのです。しかし、イエス・キリストはそれらすべてを無言で耐えられたました。「彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、口を開かなかった。ほふり場にひかれて行く小羊のように、また毛を切る者の前に黙っている羊のように、口を開かなかった。」のです。(旧約聖書イザヤ書53章7節)

 イエス・キリストは十字架につけられることになりました。罪人をはりつけにするという刑罰はユダヤ人の間では用いられていませんでしたが、古代の諸国で用いられており、ローマ人もまたそれを採用していました。しかし、それは、ローマの市民権を持っていない者、どれい、身分の低い者に対してだけ用いられていた刑罰でした。ですから、十字架につけられることは大きな恥であり、また、のろいを意味していたのです。「わたしは福音を恥としない」(新約聖書ローマ人への手紙1章16節)ということばも、福音とは十字架につけられたイエス・キリストによる救いであることを思うとき、その意味を理解することができると思います。

 イエス・キリストは、恥とのろいの象徴である十字架をその疲れはてた肩ににない、ピラトの官邸から、無気味にも、されこうべとよばれていた処刑の場所に歩を進められたのです。この場所は、おそらく、その地形がされこうべのように見えたことから、そうよばれるようになったと思われますが、それがエルサレム郊外であったという以外には、今日ではその位置も、またそこまでの距離も確かめることはできません。しかし、されこうべの丘までの道のりは、長く、苦悩に満ちたものでした。一足踏みだすごとに、になっている十字架の重みがイエス・キリストの両肩にずしりとめりこむのでした。それは単に、十字の形をした木材の重さだけではありませんでした。その重い十字架よりもはるかに重い全世界の罪、全人類の罪がキリストの肩にかかっていたのです。神の沈黙に耐え、肉体の苦痛に耐え、黙々と歩むその苦悩と苦痛の歩みは、人間の想像を絶して余りあるものでした。しかし、わたしたちはそのイエス・キリストから目をそむけてはなりません。イエス・キリストの柔和なみ顔が、苦痛のためにやつれはて、どのように醜くゆがんでいたとしても、されこうべの丘に向かって一歩、一歩歩まれるイエス・キリストから目をそむけてはならないのです。この人を見よ!なのです。この人をじっと見つめて、なぜこの罪なき神のみ子イエス・キリストがこれほどまで苦悩を味わわなければならなかったのか深く思わなければなりません。

 やがて処刑の場所に着かれたイエス・キリストは、されこうべの丘に立てられた十字架につけられました。十字架の刑は、罪人を十字架に結びつけるか、あるいはくぎづけるかし、餓死するまでそのまま放置するという方法が一般に行なわれていました。ときには、罪人の死を早めるために足を折ることもありましたが、いずれにしてもこの刑罰は最も残酷で苦痛に満ちたものだったのです。

 イエス・キリストは自ら、になってきた十字架につけられました。そして、その周囲には刑を執行するローマ兵、検死の役人、イエス・キリストの死を熱望していたユダヤの指導層、彼らに踊らされた群衆、イエス・キリストを見限った元同調者、好奇心から集まって来た物見高いやじ馬、ひそかにあわれみと同情の目を注ぐ同情者などが群がり集まっていました。イエス・キリストは十字架の回りに群がっていたこれらすべての人々のために今死におもむこうとしているのです。

 ふたりの犯罪人

 されこうべの丘にたてられたイエス・キリストの十字架の右と左に、それぞれ一本ずつ同じような十字架がたてられていました。それは、イエス・キリストと時を同じくして処刑されるはずになっていたふたりの犯罪人のためのものでした。これらのふたりがどのような凶悪な犯罪を犯したのか、知るすべもありませんが、いずれにしても、それは彼らの犯した悪業に対する当然の報いだったのです。なんという著しい対照でしょう。ふたりの極悪非道な犯罪人にはさまれて、今、罪なきイエス・キリストがはりつけにされているのです。

 「彼は暴虐を行わず、その口には偽りがなかったけれども、その墓は悪しき者と共に設けられ、その塚は悪をなす者と共にあった。」

という旧約聖書イザヤ書53章9節のことばはあやまってはいませんでした。

 ふたりの犯罪人は、集まって来た人々の顔ぶれや、数、またそのものものしい警戒ぶりを見て、ふたりの十字架の間にはさまれてはりつけにされているこの男が、ただならぬものであることに気づいていました。この男はいったいどのような重要人物なのだろうか。また、もしそうでなければ、これだけものもおしい刑を執行されるためには、どれほと世間を騒がせるようなことをしでかしたのだろうかと彼らはいぶかったのです。

 しかし、真相はすぐに明らかになりました。集まって来た群衆は、こう言ってイエス・キリストをののしりました。「神殿を打ちこわして三日のうちに建てる者

よ。もし神の子なら、自分を救え。そして十字架からおりてこい。」(新約聖書マタイによる福音書27章40節)祭司長、律法学者、長老たちもあざけってこう言いました。「他人を救ったが、自分自身を救うことができない。あれがイスラエ

ルの王なのだ。いま十字架からおりてみよ。そうしたら信じよう。」(新約聖書マタイによる福音書27章42節)兵卒どももイエス・キリストをののしったのです。「あなたがユダヤ人の王なら、自分を救いなさい。」(新約聖書ルカによる福音書23章37

 三本の十字架のまん中につけられているこの男は、自らメシヤを名のり出てローマに反逆を企て、その結果捕えられたのです。ローマ当局は、メシヤを名のって過激な政治運動をするものをきびしく取り締まり、弾圧していたからです。自分とはなんの関係もない世界のできごとではないかと犯罪人は思いました。肉体的な苦痛ともうこれで自分の一生も終わりだというすてばちな気持ちでいっぱいの彼は、人々のしり馬にのって、同じように隣の十字架上で苦悩しておられるイエス・キリストをののしりはじめたのです。

 「十字架にかけられた犯罪人のひとりが、『あなたはキリストではないか。それなら、自分を救い、またわれわれも救ってみよ』と、イエスに悪口を言いつづけた。もうひとりは、それをたしなめて言った、『おまえは同じ刑を受けていながら、神を恐れないのか。お互は自分のやった事のむくいを受けているのだから、こうなったのは当然だ。しかし、このかたは何も悪いことをしたのではない』。そして言った、『イエスよ、あなたが御国の権威をもっておいでになる時には、わたしを思い出してください』。イエスは言われた、『よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう』。」(新約聖書ルカによる福音書23章39節ー43節。)

 イエス・キリストの隣ではりつけにされていた犯罪人のひとりがイエス・キリストをののしり、あざけっていたとき、もうひとりの犯罪人はイエス・キリストのかわいたくちびるからほのかに漏れた驚くべきことばをたしかに耳にしたのです。「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです。」(新約聖書ルカによる福音書23章34節)彼は、これまでこのようなことばを聞いたことがありませんでした。また、それはどう考えてもこのような状態で人間が吐けることばではありませんでした。彼は、もうひとりの犯罪人が群衆のしり馬にのってイエス・キリストをののしりつづけていた間、イエス・キリストの苦悩と苦痛に満ちた顔をじっと凝視していました。

 彼の心の中には一つの確信がわきあがってきました。この人は決して自分の罪のために十字架にかけられているのではない。この人は、他人のために、他人の罪を一身に背負って十字架にかけられているに違いない。そのとき、彼はイエス・キリストの十字架が、実は、自分のためのものであることを知ったのでした。この人にお願いすれば、過去の罪を許してもらえるに違いないと彼は思いました。暴虐な死の力が、彼を滅亡のふちに押し流そうとする一瞬、彼は<この人を見た>のです。  わたしたちも、滅びのふちに押し流されてしまう前に、この人を見ようではありませんか。そして、この犯罪人のように、わたしたちの過去の罪を許していただこうでありませんか。

 

 イエス・キリストの最期

 論語の中に、「鳥の死にぎわの鳴き声はなんとかなしげなことだろう。しかし、人間の死にぎわに残すことばはなんとりっぱなことだろう。」という一節があります。その曽子が、死にぎわにどのようなことばを残したのか、残念ながら不明ですが、四福音書には、イエス・キリストがいまわのきわにのぞんで発されたことばが記録されています。

 イエス・キリストが十字架上で発せられたことばは、十字架上の七つのことばとよばれており、どの一つをとっても、わたしたちの大きな感動をさそわないものはありません。しかし、これらの感動的な七つのことばは、演出されたり、計算されたりしたものでは決してありませんでした。自分の死を前にして、だれが計算しつくされたことばを吐くことなどできるでしょうか。死とは、教養、知性、身分、階級などわたしたちがこの世に生を受けて以来身につけてきたすべてのものがことごとく引きはがされて、いわば丸裸の姿にされた人間が、魂の奥深く秘めていた本心をはじめて明かす最初で最後の機会なのです。人間が死にぎわに残すことばがりっぱなのは、それがその人の魂の奥底から出た真実なことばだからではないでしょうか。

 そのことを思うとき、わたしたちはイエス・キリストの十字架上の七つのことばになおさら深い感動をおぼえないわけにはいきません。されこうべの丘の十字架は二千年の歳月を経た今、あまりにも美しく描かれすぎています。十字架は、美しくしたわしいものになっています。しかし、イエス・キリストがされこうべの丘でつけられた十字架は、決して美しくも、したわしくもありませんでした。それは、大きな苦痛と恥辱、そして、さらに、犬死とも見える無惨な死を意味していたのです。 十字架につけられたイエス・キリストは、そのような死とはげしく戦っておられました。しかし、そのさなかにあってさえ、イエス・キリストはなお、わたしたちの救いを願いつづけておられたのです。ご自分の苦痛をよそに、イエス・キリストは自分のいまわしい過去のゆえに苦悩する犯罪人にやさしく語りかけられるのです。「あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」と。(新約聖書ルカによる福音書23章43節)

 また、ご自分のわき腹にやりをつきさしたり、わけもわからずにののしり、あざける兵士や群衆のために、「父よ、彼らをおゆるしください」(新約聖書ルカによる福音書23章34節)と祈られるのです。

 刻々と迫ってくる死を前にして、イエス・キリストはあとに残される母マリヤへのやさしい心づかいを示されました。十二でしのひとり、ヨハネのかたわらにたたずむマリヤに向かって、イエス・キリストは、「婦人よ、ごらんなさい。これはあなたの子です。」と語りかけられ、また、ヨハネに向かっては、「ごらんなさい。これはあなたの母です。」(新約聖書ヨハネによる福音書19章26節、27節参照)と言われたのです。

 生命のあるかぎりわたしたちの救いをひたすら願いつづけられたイエス・キリストの最期がついにやってきました。

 「時はもう昼の一二時ごろであったが、太陽は光を失い、全地は暗くなって、三時に及んだ……そのとき、イエスは声高く叫んで言われた、『父よ、わたしの魂をみ手にゆだねます』。こう言ってついに息を引きとられた。(新約聖書ルカによる福音書23章44節、46節)

 イエス・キリストがまさに息を引きとろうとされたとき発せられたこのことばは、決していわゆる美文、名文のたぐいではありません。しかし、そこには、父なる神へのゆるぎない信頼がなんとか力強く表明されていることでしょう。ゲッセマネの園以来、神様はいぜんとして沈黙を守り続けておられるのです。しかし、それにもかかわらず、イエス・キリストは神様を信頼し、神様にいっさいをかけておられるのです。たとえ神様が多くを語ってくださらなくても、いや、ひと言すら語ってくださらなくても、イエス・キリストの信頼は微動だにしませんでした。

 イエス・キリストの十字架の死が、わたしたちを罪から救いだすことができるのは、この徹底的な信頼と従順のゆえなのです。イエス・キリストは、「死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた」のです。(新約聖書ピリピ人への手紙2章8節)それゆえに、彼はわたしたちのメシヤ(救い主)となられたのです。このゆえに、また、わたしたちも、ナザレのイエスを<キリスト>(ヘブル語ではメシヤ)と告白することができるのです。わたしたちの罪のために、自らすすんで神様に捨てられ、神様の沈黙に耐えてくださったイエス・キリストは今、罪の許しのわざを完成するために十字架の上で息をひきとられたのです。

 この人は正しい人であった

 イエス・キリストの裁判から十字架の処刑にいたるまでずっとつきそい、一部始終をあますところなく見守っていた人がいました。それは、刑の執行と警備にあたったローマ軍の責任者、百卒長でした。彼にとっては、処刑者がイエス・キリストであろうと、だれであろうと、いつもと同じようにローマの百卒長としての義務をおちどなく果たしさえすればそれでよかったのです。法や定めの忠実な番人であった百卒長にとって、ことがらのいかんにかかわらず法を破り、定めを犯す者は人間の風上にもおけない存在だったからです。

 そのようなわけで、この百卒長は、部下の兵士がイエス・キリストを棒やむちでたたいたり、こづきまわしたりするのを見ても別に制止するわけでもありませんでした。ローマの定めを破るような無法者には当然の報いであるとさえ思って、兵士たちの暴行を黙認していたのです。

 しかし、捕縛から処刑にいたるまでのイエス・キリストのひとつびとつの言行を自分の目で確認するにつれて、彼は、そのような考えが少しずつ変わってゆくのをとどめることができませんでした。そして、今、そのイエス・キリストが十字架の上で最期の息をひきとられたとき、この百卒長は、まずしなかればならない職務があるのも忘れて、思わずこう叫んでしまったのです。

 「ほんとうに、この人は正しい人であった」

     (新約聖書ルカによる福音書23章47節)

 彼はこれまで何回ともなく立ち会ってきた処刑人の最期を思い浮かべてみました。またイエス・キリストのすぐ隣で、ありとあらゆるののしりとのろいのことばをわめき散らしながら息絶えていったもうひとりの犯罪人の最期をも見ました。イエス・キリストの最期はそのような犯罪人の最期とはあまりにも違いすぎるのです。この人は、あらゆる無体なののしりにも黙って絶えたのです。この人は、自分の苦痛をよそに、他人の苦痛をやわらげることに気を配っていたのです。この人は、自分の死を忘れて、他人の救いを熱望していたのです。

 百卒長は、このようなイエス・キリストの秘密のすべてをとらえることはできませんでしたが、そこに人間の世界のできごとを越えた何かがあることを認めないわけにはいきませんでした。また、イエス・キリストの十字架の死が、普通一般の死ではなく、まして、犯罪人としての刑死などではなく、何かひとつの大きな意味を持った死であることを感じとったのです。

 それが、「ほんとうに、この人は正しい人であった」という思わずほとばしり出た告白となったのです。百卒長が思わず口にした「正しい人」ということばは単に法律上や道徳上の正しさをさしているだけではありません。このことばは、それ以上の意味をこめた、信仰の告白なのです。新約聖書マルコによる福音書一五章三九節には、同じ百卒長のことばを、少し違ったことばで表現していますが、実は、このマルコによる福音書こそが、百卒長の告白の真意を正しく伝えているのです。

 「イエスにむかって立っていた百卒長は、このようにして息をひきとられたのを見て言った、『まことに、この人は神の子であった』。」 これまで長い間イエス・キリストに接してきた多くのユダヤ人たちがついに知り得なかったイエス・キリストの秘密を、この百卒長はわずか半日あまりで発見したのです。今十字架の上に息絶えられたナザレのイエスは、神の子キリストであったという驚くべき事実を彼は知ったのでした。まちがいなく自分と同じ生身の人間でありながら、イエス・キリストが人間以上の何かを持っておられることを彼は見たのです。

 かりに百卒長は、イエス・キリストをジャンヌ・ダルクのような英雄的な人間とみなすこともできたでしょう。また、ソクラテスのような悲劇の聖人と評価することもできたでしょう。しかし、彼はイエス・キリストを<神の子>であると大胆に宣言しきったのです。

 百卒長のとっては、イエス・キリストが神の子ではないというさまざまの理由や説明よりも、イエス・キリストが神の子であるという説明のほうがはるかに説得的であり、また実感としても納得できるものだったのです。だれも、イエス・キリストが神の子であるという事実を証明することはできません。しかし、イエス・キリストは神の子ではないということも証明できないのです。わたしたちはただ、そのいずれかをとるしかないのです。

 捕縛から十字架上の最期まで、ことの一部始終を目撃し、<この人>を見つづけてきた百卒長は、「まことに、この人は神の子であった」と告白しました。わたしたちも、この人について判断を下す前に、この人を見ようではありませんか。そして、百卒長と同じ告白ができるようになりたいものです。

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