イエス・キリスト

--その偉大なる生涯--

9.最後の日々

 「しかし、きょうもあすも、またその次の日も、わたしは進んで行かねばならない。預言者がエルサレム以外の地で死ぬことは、あり得ないからである。」

 新約聖書ルカによる福音書13章33節

 「三日、三月、三年」ということばがあります。何事によらず、三日め、三ヶ月め、三年めが長続きるすかどうかの大きな山場になっているというような意味ですが、人間の気まぐれ、あきっぽさを巧みに表現したことばです。

 わたしたちの人生は「きょうもあすも、またその次の日も」同じようなことのくりかえしです。きのうがそうだったし、きょうもそうなのです。あすもまちがいなくそうなることでしょう。ほんとうに、いいかげん投げだしたくなるのが人生というものです。

 しかし、イエス・キリストの生涯にはそのようなけんたい感はありませんでした。同じ「きょもあすも、またその次の日も」ではあっても、それは、なしとげなければならないたいせつなわざのための貴重な一日一日だったのです。

 アッシジの聖者といわれたフランシスが、ある日いつものように畑を耕していると、ひとりの訪問者がやって来て、こう尋ねました。「もし今夜死ぬとわかったらこれからの時間、あなたはどのように過ごされますか。」フランシスは一瞬目を閉じて考えるふうでしたが、ややあって口を開き、「このまま、畑仕事を続けます。」と答えたということです。「芸術は長く、人生は短し」と古人は慨嘆しましたが、人類救済という大事業を思うとき、イエス・キリストにとっては、一日としておろそかにできる日はありませんでした。 

 このとき、当時ユダヤの領主であったヘロデ王はイエス・キリストを殺そうとひそかにたくらんでいました。彼にとっての主要な関心事は政治的な安定ということでした。そして、そのためにはイエス・キリストは要注意の人物だったのです。ガリラヤの危機以後とみに衰えたとはいうものの、彼に対する群衆の人気には無視できないものがありました。もし、イエス・キリストが天下に号令すれば、一波乱はまちがいありません。ヘロデ王はそれを極度に警戒していました。ひとりの宗教的熱狂者のために自分の政治的生命が断たれることを恐れたヘロデは、イエス・キリストをなきものにすることによって未然に芽をつもうとひそかにねらっていたのでした。

 人類救済の大事業をなしとげるために、エルサレムに向かっておられたイエス・キリストは、まるで張りめぐらされた網の中にとびこんで行く小鳥のようでした。血ののろいを受けた家系のヘロデ王にとって、人間ひとりの生命など、物言わぬ小鳥ほどの重さもなかったのです。

 ところがどうしたはずみか、この悪だくみがある一部のユダヤ人に漏れていたのです。新約聖書ルカによる福音書一三章に、あるパリサイ人たちがイエス・キリストにヘロデ王の悪だくみを知らせ、エルサレムに上ることを思いとどまるように忠告したと記録されています。イエス・キリストに対して最も敵対的であったパリサイ人の中にもかくれた同情者がいたのです。彼らは表だってイエス・キリストのでしになることはしませんでしたが、心の中ではひそかにでしの誓いを立てていたのでしょう。やがて、表だってイエス・キリストのでしであることを表明できるようになる日まで、彼らはかくれたでしとして遠くからイエス・キリストを見守っていたのです。

 「きょうもあすも、またその次の日も」いとうイエス・キリストのことばはこのしんせつな忠告に対する答えでした。彼らのしんせつな忠告を無視しているのでは決してありません。イエス・キリスト自身、いろいろなたくらみがなされていることはうすうす感ずいておられました。あのきつねのように悪賢いヘロデ王がすきあらばとおりをうかがっていることも知っておられました。

 しかし、すでに心の中に死を決したイエス・キリストにとって、それはエルサレム行きを中止させるものではありませんでした。イエス・キリストはエルサレムで待っているものが十字架の死であることを知りながらも、「きょうもあすも、またその次の日も」進んで行かれたのです。いや、十字架の死によってしか人類救済の大事業はなしとげられないことをしっておられたからこそ、あえてエルサレムに上って行かれたのです。イエス・キリストを信じる者に永遠の命をもたらす一粒の麦となってくださるために死地におもむいてくださったのです。

 石の叫び

 でしたちの先頭に立たれたイエス・キリストはやがてエルサレムの東にあるオリブ山のふもとに到着されました。それは、ユダヤ最大の祝祭日である過ぎ越しの祭り(ユダヤ民族がエジプトから解放された記念日)の六日前のことでしたが、これからの六日間、オリブ山はイエス・キリストの最後の日々にとって重要な役目を果たす場所となったのです。新約聖書ルカによる福音書二一章三七節に、「イエスは昼のあいだは宮で教え、夜には出て行ってオリブという山で夜を過ごしておられた。」と記録されていますが、このオリブ山はわずか六日の間に、イエス・キリストの苦悩と犠牲、血と涙とをあますところなく目撃したのです。

 オリブ山のふもとの町ベタニヤで一夜をお明かしになったイエス・キリストは、翌日、子ろばにまたがってエルサレムの町におはいりになりました。一見、無意味に見えるこの行為には、実は深い意味がこめられていたのです。旧約聖書のゼカリヤ書に、

 「シオンの娘よ、大いに喜べ、

  エルサレムの娘よ、呼われ。

  見よ、あなたの王はあなたの所に来る。

  彼は義なるものであって勝利を得、

  柔和であって、ろばに乗る。

  すなわち、ろばの子である子馬に乗る。」

     (ゼカリヤ書9章9節)

 とありますが、このことばは、当時、メシヤ到来の予言とされていました。メシヤはろばにまたがってエルサレムに入城しなければならないのです。

 これまで、十二でし以外にはメシヤの秘密を固く保ってこられたイエス・キリストは、メシヤとしての最大のわざである十字架の死を目前に控え、今やその秘密を群衆にも明らかにされました。メシヤにかける群衆の期待があまりにも的はずれなので、これまでご自身のメシヤ性を秘密にしてこられたイエス・キリストでしたが、たとえ、群衆がどのように誤解し、的はずれの応答を示そうとも、これ以上秘密にすることはできませんでした。時はそれほど迫っていたのです。イエス・キリストはメシヤとして十字架につけられなければならないのです。単なる民族のヒーローとしてではなく、一聖人、一殉教者としてではなく、わたしたちの罪と苦悩とを一身に背負い、あがなうおかたとしてーーすなわち、神よりつかわされたメシヤとして十字架にかからなければならないのです。子ろばにまたがってエルサレム入りをするイエス・キリストは、決して得意満面の面持ちを見せてはおられませんでした。反対に、だれひとり知る者のない孤独感をかみしめておられたのです。多くの群衆とでしたちに囲まれながら、ほんとうはただひとりでエルサレムの門をくぐられたのです。ただひとり十字架につくために。

 果たせるかな、群衆はただちに好奇の目をもって子ろばにまたがったイエス・キリストを迎えました。やがて好奇の目が賛美の歌となり、賛美の歌が熱狂的な歓呼の声と変わっていったのです。あと数日もすれば、イエス・キリストを「十字架につけよ!」と叫び、たけり狂うはずの同じ群衆なのです。しかし今はその群衆はメシヤのエルサレム入城に歓呼の声をあげて熱狂しているのです。

 「主の御名によってきたる王に、  

  祝福あれ。

  天には平和、

  いと高きところには栄光あれ。」

     (新約聖書ルカによる福音書19章38節)

 付和雷同的に叫ぶ彼らに、この賛美の歌の真の意味がどれほど理解できたことでしょう。しかし、たとえそうではあっても、今はメシヤ(救い主)、イエス・キリストのエルサレム到着の告知がなされなければならなかったのです。群衆の中にイエス・キリストに敵対するパリサイ人がまぎれこんでいました。彼らはこのただならぬ事の成り行きに驚き、イエス・キリストに詰めよりました。「先生、あなたの弟子たちをおしかり下さい。」(新約聖書ルカによる福音書19章39節)

 いつもでしたら、人にいわれるまでもなくイエス・キリストのほうからそれを止められました。しかし、今は違うのです。今は、たとえそれがだれであったとしても、メシヤのエルサレム入城を高らかに告知しなければならないのです。イエス・キリストはパリサイ人にこう答えられました。

 「あなたがたに言うが、もしこの人たちが黙れば、石が叫ぶであろう。」  

     (新約聖書ルカによる福音書19章40節)

 物言わぬ路傍の小石すらも創造者であるイエス・キリストを受け入れ、歓迎しているのに、どうして万物の霊長である人間が救済者イエス・キリストを受け入れ、歓迎しようとしないのでしょうか。すべての被造物がイエス・キリストをメシヤと信じ、告白しているのに、ひとり人間だけがそれをかたくなに拒んでいて良いのでしょうか。もし人間がいつまでも黙っているならば、物言わぬ石が叫び出すに違いありません。しかし、そのときはもう手おくれなのです。石が叫ぶ前に、イエス・キリストをメシヤとして歓迎しようではありませんか。

 

 宮きよめ

 ユダヤには三つの大きな祭がありましたが、その中でも、過ぎ越しの祭りは特に重要視されていました。遠く、イスラエル民族のエジプトからの解放にその起源をおくこの祭は、民族の解放と独立を熱望してやまないユダヤ人には特別な意味をもっていたのです。遠隔の地、特に、パレスチナから遠く離れた諸外国に居住していたユダヤ人にとっては、過ぎ越しの祭りをエルサレムで祝うことが一生の念願でした。

 その過ぎ越しの祭りをあと数日に控えて、エルサレムの町、特に神殿の周辺はあわただしいふんい気に包まれていました。神殿での参けいには犠牲の動物や、その他のささげ物がつきものでしたので、おびただしい数の参けい者に十分に行き渡る数量の動物やその他のささげ物を準備しておく必要があったのです。また、神殿への納入金はユダヤの貨幣でなければなりませんので、外国の貨幣を両替する両替所も準備のために多忙を極めていました。おびえたような動物の鳴き声をおおい包むようなひときわかん高い商人の叫び声、そして、それに金貨や銀貨の触れ合う音がまじって、神殿の内外はけんそうと雑踏をきわめていました。

 しばらくぶりで見るエルサレムの神殿が、これほどまでに俗化していようとは、

イエス・キリストの胸の中に、はげしい憤りがわき上がってきました。

 「それから、イエスは宮にはいられた。そして、宮の庭で売り買いしていた人々をみな追い出し、また両替人の台や、はとを売る者の腰掛をくつがえされた。そして彼らに言われた、『わたしの家は、祈の家ととなえられるべきである」と書いてある。それだのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている』。」(新約聖書マタイによる福音書21章12節、13節)

 ここには、中世時代の宗教的画家が好んで描いた、あの憂いを含んだイエス・キリストの面影は少しもありません。ここにあるのは燃えるような情熱とたくましい行動力とを備えた改革者の影像です。イエス・キリストは形がい化し、無力化していた当時の宗教が、苦悩する人間の心の諸問題をなんら解決できないまま、いたずらに形だけを保っていることに対してはげしくちょう戦なさったのです。

 茶道や華道のような伝統的なことがらは、伝達される過程において必ずといって良いほど形式化される危険性をはらんでいますが、宗教も例外ではありません。本質が見失われ精神がそこなわれ、本来、それが何を意味していたかが忘れられてしまって、形だけがけばけばしく豪華になり、単なるお祭りさわぎにおちてしまう危険があるのです。イエス・キリストの目に映った当時の宗教はまさにそのとおりでした。

 信仰は一年に数回のお祭りでかたづけられるようなものではありません。時々、思い出したようにお祝いをすれば良いというようなものでもありません。それは、一年365日、毎日毎日の問題なのです。人間いかに生きるべきかという問いとの日ごとの対決が信仰なのです。一年に数回のお祭りではなく日ごとの救いが信仰のあるべき姿なのです。

 過ぎ越しの祭りがそもそも何を意味していたかを忘れてしまったところに当時のユダヤ人の悲劇がありました。もちろん、それはユダヤ民族のエジプト解放記念の日でした。しかし過ぎ越しの祭りの本来の意図は、単なる民族の解放ではなく、人間そのものの罪からの解放という重要な事実を教えることにありました。羊や牛などの犠牲の動物が要求されたのも、実はこの罪の許し、しょく罪というたいせつな事実を予表的に体験させるためだったのです。しかし、それはあくまで予表的な者にしかすぎませんでした。「なざなら、雄牛ややぎなどの血は、罪を除き去ることができないから」です。(新約聖書ヘブル人への手紙10章4節参照)この予表を実体化できるのは、罪なき神の子、イエス・キリストただひとりであったのです。 「世の罪を取り除く神の小羊」(新約聖書ヨハネによる福音書1章29節)であるそのイエス・キリストが今神殿に姿をみせておられるのです。しかし、宗教的指導者も、群衆も、イエス・キリストの中に神の小羊を見ようとはしませんでした。その本体が、まもなくしょく罪のわざを完成しようとなさっているのに、その影にしかすぎない羊や牛などに目を奪われているのです。

 イエス・キリストが神殿で売り買いしていた人々や両替人を追い出し、台や腰掛をくつがえされたのは、単なる激情にかられてのことではありませんでした。一見、暴力的なこの行為には深い意味がこめられていたのです。それは、イエス・キリストが神の小羊である以上、神殿における数々の犠牲が無意味になったことを力強く宣言されるための行為だったのです。神を信じる者が、手で作ったエルサレムの神殿ではなく、イエス・キリストによって心の中に築かれた神殿で礼拝できるようになるために、イエス・キリストはエルサレムの神殿をきよめられたのです。

 陰謀と裏切り

 このような大胆なちょう戦がそのまま見のがされるはずはありません。特に、イエス・キリストを敵視し、絶えず機会をうかがっていたユダヤの指導者たちは、急拠会合し、対策を練りました。

 「そのとき、祭司長たちや民の長老たちが、カヤパという大祭司の中庭に集まり、策略をもってイエスを捕えて殺そうと相談した」

 (新約聖書マタイによる福音書26章3節、4節)

 宗教的指導者たちだけではありません。政治的な指導者や学者たちもまた、この陰謀に加わっていました。自分たちの安寧、権威、地位、立場を守り抜くために、イエス・キリストを犠牲にしようとはかったのです。彼らは、イエス・キリストを捕えるためのもっともらしい口実を考え出したり、群衆の目に触れることなくひそかにイエス・キリストを捕らえる方法をしきりに相談し合いました。

 「そのとき、十二弟子のひとりで、イスカリオテと呼ばれていたユダに、サタンがはいった。すなわち、彼は祭司長たちや宮守がしらたちのところへ行って、どうしてイエスを彼らに渡そうかと、その方法について協議した。彼らは喜んで、ユダに金を与える取決めをした。ユダはそれを承諾した。そして、群衆のいないときにイエスを引き渡そうと、機会をねらっていた。」

 (新約聖書ルカによる福音書22章3節ー6節)

 これはまた、なんと悲しく、また恐ろしい記録でしょう。他のだれよりもイエス・キリストに近かったユダが、このような陰謀に加わったのです。しかも、ユダにとっては最高の価値であったイエス・キリストをわずか三十枚の銀貨とひきかえに、ほかならぬ敵の手に引き渡してしまったのです。自分のでしに裏切られ、死に渡されながらも、なお、きわみまで彼を愛し続けられた神の子、イエス・キリストと比べるとき、それはなんとあざやかな対照を示していることでしょう。

 それにしても、ユダはどうしてわずか三十枚の銀貨のためにイエス・キリストを売り渡さなければならなかったのでしょうか。これまで皆の金をごまかして着服していたことが露見し、しっ責されたからだという説明もあります。また、イエス・キリストがいつまでもこの世のメシヤとして立とうとしないので見切りをつけたからだという考えもあります。あるいはまた、捕らえられたイエス・キリストが奇跡によって彼らの手中をのがれ、劇的にメシヤ王として即位することを期待しての逆説的な信仰行為であったという見方もあります。それぞれに、一面の真理を伝えてはいますが、どの説も決定的ではありません。なざなら、ユダがどうしてイエス・キリストを裏切ったのかは永遠のなぞだからです。だれも解くことができない、しかも、だれもがそのような可能性を自分の中にひそかに見いだして恐れおののく永遠のなぞなのです。ユダは単に歴史上の一人物ではありません。ユダは、わたしたちひとりびとりでもありうるのです。わずか三十枚の銀貨でどうしてイエス・キリストを裏切れたのかといぶかるわたしたちが、なんとさ細なことがらでイエス・キリストへの信仰を捨ててしまうことでしょうか。

 ユダの裏切りの意図は永遠のなぞとして隠されていますが、ユダに何が起こったかは明らかな事実です。<ユダに、サタンがはいった>のです。ユダはイエス・キリストの代わりに、サタン(悪魔)に自分の魂を売り渡してしまいました。イエス・キリストを知りながら、イエス・キリストから離れて行くこと、イエス・キリストと親しくなりながら、イエス・キリストを捨ててしまうこと、それが悪魔に自分の魂を売り渡すということなのです。

 ユダの悲劇は、彼がイエス・キリストを捨てたり、拾ったりすることができると考えていたことにありました。しかし、イエス・キリストはわたしたちが自由に捨てたり、拾ったりできるようなそんなちっぽけなおかたではありません。イエス・キリストはわたしたちの人生をささえていてくださる生の根底なのです。これを捨ててしまった人間にはもう、生きることは全く無意味になってしまうのです。やがてユダがわが手でわが生命を絶ってしまったのも、別に怪しむに足りません。イエス・キリストを知りながら、イエス・キリストを捨ててしまった人間には真の意味の人生はあり得ないからです。「その人は生まれなかった方が、彼のためによかった」のです。(新約聖書マタイによる福音書26章24節)

 ユダの死とイエス・キリストの死、同じ死でありながらそこにはなんと大きな隔たりがあることでしょう。ユダの死は永遠の滅びしかもたらしませんでしたが、イエス・キリストの死は永遠の生命をもたらしたのです。わたしたちも、たとえどのようなことがあっても生の根底であるイエス・キリストだけは捨てないようにしなければなりません。

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