イエス・キリスト --その偉大なる生涯-- |
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7.ガラテヤの危機 「シモン・ペテロが答えた、『主よ、わたしたちは、だれのところに行きましょう。永遠の命の言をもっているのはあなたです。わたしたちは、あなたが神の聖者であることを信じ、また知っています。』」 新約聖書ヨハネによる福音書6章68節、69節 新しい教えと力あるわざとによって神の国の到来を告知するイエス・キリストのガリラヤ伝道は、それを見聞きした人々に大きな衝撃を与え、さまざまの波紋を投げかけました。 彼らはまず、その教えの新しさと、真の権威とに感嘆しあいました。 「人々は、その教に驚いた。律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように、教えられたからである。」(新約聖書マルコによる福音書1章22節) 教えだけではありません。そのなされるわざもまた驚嘆に値するものでした。 「彼らが出て行くと、人々は悪霊につかれたおしをイエスのところに連れてきた。すると、悪霊は追い出されて、おしが物を言うようになった。群衆は驚いて、『このようなことがイスラエルの中で見られたことは、これまで一度もなかった』と言った。」(新約聖書マタイによる福音書9章32節33節) イエス・キリストの言行についてのごく部分的な記録にしかすぎない四福音書を読むだけでもイエス・キリストのすばらしさに感動させられるのですから、ましてや、その耳で新しい教えを聞き、その目で力あるわざを見た彼らの驚異の念がどれほど大きかったか想像に余るものがあります。 しかし驚異の念は必ずしも信仰を生み出しません。むしろ、かえってそれが信仰のつまずきになることさえあるのです。イエス・キリストはそのことをよく知っておられ、「わたしにつまずかない者は、さいわいである。」と警告なさいました。(新約聖書マタイによる福音書11章6節参照)それは、ガリラヤ伝道のはなばなしい成功の陰にすでに信仰の大きな危機がしのび寄っていたことを物語っています。 1863年11月19日、南北戦争の大激戦のあち、ゲティスバーグの戦場で戦没者慰霊祭が行われました。一万数千人の将兵を前にして、エドワード・エベットとアブラハム・リンカーンのふたりが演説をしました。エベットは一時間二十分にわたる大演説をし、並みいる将兵に深い感銘を与えました。そのあと、リンカーンが立ち上がって何か祈りをこめるような調子で五分ほど演説をしましたが、それは沈痛で、重々しく、聞きとりにくいものでした。 数日後、各新聞はこの日の模様を大きく報道しましたが、どの新聞もエベットの演説をはでに紹介するだけで、リンカーンの演説には一言も触れていませんでした。わずか一紙だけがリンカーンの演説を全文掲載しました。 もし、この一紙が他の新聞にならって、リンカーンの演説をのせなかったなら、<人民の、人民による、人民のための政治>という不朽の名言は永遠に歴史のやみに葬り去られていたことでしょう。 リンカーンの声がいくら聞きとりにくくても、全然聞きとれなかったとは考えられません。現に、わずか一紙だけでも全文を掲載したのですから、他の記者たちも聞いたはずです。しかし、彼らはエベットの名演説に酔いしれて、地味ではあっても重大な意味をもつリンカーンの演説を無視してしまったのです。物理的にはその音声を聞いたはずです。しかし、聞く耳を持っていなかったために、その音声の意味するものを理解できなかったのです。 「こうしてイザヤの言った預言が、彼らの上に成就したのである。 『あなたがたは聞くには聞くが、決して悟らない。 見るには見るが、決して認めない。 この民の心は鈍くなり、 その耳は聞えにくく、 その目は閉じている』。」(新約聖書マタイによる福音書13章14節、15節) 自らの知性と教養を頼みとするパリサイ人たちは、そのゆえにイエス・キリストを拒んでしまいました。彼らとてもイエス・キリストの教えやわざに驚嘆しないではありませんでした。しかし、それらをすなおに受け入れるには、彼らは余りにも自己に確信を置きすぎていました。彼らには、見れども見えず、聞けども聞こえずなのです。いや、見れども見ず、聞けども聞かずなのでしょう。 「しかし、パリサイ人たちは言った、『彼は、悪霊どものかしらによって悪霊どもを追い出しているのだ』。」(新約聖書マタイによる福音書9章34節) 信じようとしない者にはイエス・キリストは永遠のなぞであり、つまずきの石でしかありません。「わたしにつまずかない者は、さいわいである」という警告は、当時のパリサイ人だけではなく、今日、恐るべき不信仰の時代に生きているわたしたちに対する警告でもあります。 道ばたに落ちた種 マタイによる福音書一三章の種まきのたとえの中にある「道ばたに落ちた種」というのは、そのような人々をさしています。 「だれでも御国の言を聞いて悟らないならば、悪い者がきて、その人の心にまかれたものを奪いとっていく。道ばたにまかれたものというのは、そういう人のことである。」(新約聖書マタイによる福音書13章19節) 自分に都合の悪いことはいっさい聞こえないふりをするこうかつな老人のように、始めから聞きたくないのです。人間は老若男女を問わず、自分に不都合なことには耳をそむけて聞こうとはしません。耳ざわりの良いこと、得になりそうなこと、自分の考えと一致していること、そうしたことには喜んで耳を貸しますが、そうでないことにはそれこそ目もくれません。 ガリラヤ伝道のある日、静かなガリラヤ湖を渡って対岸のゲラサ人の地に上陸されたイエス・キリストは、たちまち、汚れた霊につかれたひとりの狂人につかまってしまいました。しかし、この出会いはこの狂人にとってはさいわいなことでした。それは、この日、彼にも神の国が到来したからです。この男の中に巣くっていた悪霊は、イエス・キリストの力あるわざによって、たちまち追い出されてしまいました。 「さて、そこの山の中腹に、豚の大群が飼ってあった。霊はイエスに願って言った、 『わたしどもを、豚にはいらせてください。その中へ送ってください』。イエスがお許しになったので、けがれた霊どもは出て行って、豚の中へはいり込んだ。すると、その群れは二千匹ばかりであったが、がけから海へなだれを打って駆け下り、海の中でおぼれ死んでしまった。豚を飼う者たちが逃げ出して、町や村にふれまわったので、人々は何事が起こったのかと見にきた。そして、イエスのところにきて、悪霊につかれた人が着物を着て、正気になってすわっており、それがレギオンを宿していた者であるのを見て、恐れた。また、それを見た人たちは、悪霊につかれた人の身に起こった事と豚のこととを、彼らに話して聞かせた。そこで、人々はイエスに、この地方から出て行っていただきたいと、頼みはじめた。」 (新約聖書マルコによる福音書5章11節ー17節) 神の国をもたらしてくださったイエス・キリストに「この地方から出て行っていただきたい」とはなんと悲しいことばでしょうか。「どうぞこの地にいつまでもとどまって、さらに力あるわざ、新しい教えを示してください」と願わなければならないはずなのです。 しかし、彼らはそうしませんでした。神の国の市民になることがこれほど大きな損失を招くものなら、むしろありがた迷惑だと感じたのです。この驚くべき奇跡がどのような深い意味をもっているのか、イエス・キリストに問いただすまたとないチャンスに恵まれたのです。けれども彼らは聞こうとさえしませんでした。踏み固められた道のように心をかたくなにし、耳をしっかりふさいで、今すぐこの土地から離れてほしいと願ったのです。 ガリラヤ伝道の終わり近く、イエス・キリストを襲ったガリラヤの危機は決して突然訪れたものではありませんでした。ガリラヤの危機ーーすなわち信仰の危機はイエス・キリストの宣教活動開始以来絶えずあったのです。なぜなら、神の国の告知はわたしたちに絶えず決断をせまっているからです。神の国の福音がのべ伝えられ、イエス・キリストがわたしたちの前に提示されるとき、わたしたちは「イエス」か「ノー」のいずれかの応答をしなければなりません。わたしたちのすべてをかけた応答をしなければならないのです。それが「イエス」であっても、「ノー」であっても、わたしたちの生涯はそれによって大きく変化してゆきます。 豊かに愛し、あふれるばかりに与えてくださる神は、またすべてをゆだねて従うように求める神でもあります。自分の先入観や願望そのはかわたしたちが自分のものとしてたいせつに持っているものを全部捨てて、神が与えてくださるものをそのまま受け、神が求められるものをそのままささげなければなりません。ガリラヤの危機は遠い昔の物語ではなく、わたしたちが神と向かい合うとき、日々直面しなければならない信仰の危機なのです。 石地に落ちた種 「石地にまかれたものというのは、御言を聞くと、すぐに喜んで受ける人のことである。その中に根がないので、しばらく続くだけであって、御言のために困難や迫害が起こってくると、すぐつまずいてしまう。」(新約聖書マタイによる福音書13章20節、21節) イエス・キリストを歓迎し、喜んでその教えに耳を傾けたのは四福音書の中で「大勢の群衆」とよばれる一般の人々でした。特に目ぼしい変化も見られない毎日のあけくれにすっかりたいくつし、刺激的で、おもしろくて、変わったことを求めていた彼らにとっては、イエス・キリストの目のさめるような出現は沈滞を打ち破り、きまりきった単調な日常性から脱出するまたとないチャンスでした。 彼らはかたくなで誇り高いパリサイ人たちとは対照的な応答を示しました。イエス・キリストの行く先々に群がり集まり、イエス・キリストに食事や休息の暇さえ与えないほど熱狂的な歓迎ぶりを示しました。 「するとイエスは彼らに言われた、『さあ、あなたがたは、人を避けて寂しい所へ行って、しばらく休むがよい』。それは、出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。」(新約聖書マルコによる福音書6章31節) 彼らは、イエス・キリストの新しい教えや力あるわざにすなおに反応し、このイエス・キリストこそ彼らが待望していた民族のヒーロー、メシヤ(救い主)であると確信しました。しかし不幸なことに、彼らのいだいていたメシヤへの期待はイエス・キリストのいだいておられたそれとは著しく異なっていました。あの決定的なガリラヤの危機は、パリサイ人たちの冷淡な拒絶ばかりではなく、大ぜいの群衆の熱狂的な歓迎のうちにもすでに胚胎(はいたい)していたのです。なざなら、熱狂は長くは続かないものですし、さらに、期待が裏切られたことによってさめた熱狂は必ず苦い失望と潮の引くような離反に終わるからです。 それはちょうど石地に落ちた種のようです。決して冷淡ではありません。神の国の福音のすばらしさに魅せられて熱烈に応じてきます。しかし、悲しいことに、それは根なし草のような信仰なのです。それは気晴らしのための信仰、先物買いの信仰であって、本物の信仰ではありません。それは、イエス・キリストに深く根ざしたゆるがない信仰ではありませんので、信仰の危機に直面するとすぐくずれてしまうのです。 ガリラヤ伝道の終わりも近いある日、ガリラヤ湖の対岸の丘でいつものようにイエス・キリストを取り囲んだ群衆は時のたつのも忘れてイエス・キリストの教えに聞き入っていました。五千人の給食の奇跡が行われたのはこのあとのことでした。ひとりの少年が弁当に持って来ていた五つのパンと二匹の塩づけのさかなで五千人を養われたのです。 それがどのようにしてなされたか、わたしたちには知るべくもありませんが、ヨハネによる福音書はこのようにしるしています。 「そこで、イエスはパンを取り、感謝してから、すわっている人々に分け与え、また、さかなをも同様にして、彼らの望むだけ分け与えられた。人々がじゅうぶんに食べたのち、イエスは弟子たちに言われた、『少しでもむだにならないように、パンくずのあまりを集めなさい』。そこで彼らが集めると、五つの大麦のパンを食べて残ったパンくずは、十二のかごにいっぱいになった。」(新約聖書ヨハネによる福音書6章11節ー13節) 当時、パンの奇跡はメシヤ出現のしるしとされていましたから、この奇跡を目撃した群衆が熱狂し、興奮したのは当然のことでした。今こそ、待ちに待ったメシヤがイスラエルの王として即位し、メシヤ王国を樹立する時が到来したのです。ヨハネによる福音書の著者は、「人々はイエスのなさったこのしるしを見て、『ほんとうに、この人こそ世にきたるべき預言者である』と言った。」(新約聖書ヨハネによる福音書6章14節)としかしるしていませんが、ガリラヤの丘全体を包んだ熱っぽい空気が伝わってくるような気がします。 しかし、イエス・キリストは彼らの期待にはこたえられませんでした。なざなら、群衆の期待は悪魔的ではあっても、少しもメシヤ的ではなかったからです。神の国はすでに到来し、樹立されているのです。それなのにどうしてその神の国にはいろうとしないで、代わりにこの世の王国の樹立をはかるのでしょうか。なぜ神の国の市民になろうとしないで、この世の市民権にあこがれるのでしょうか。彼らの求めるものは、イエス・キリストの求めるものではなかったのです。 「イエスは人々がきて、自分をとらえて王にしようとしていると知って、ただひとり、また山に退かれた。」(新約聖書ヨハネによる福音書6章15節) だれのところに行きましょう その翌日、なおもあきらめ切れずけんめいにイエス・キリストをさがし求めた群衆は、ようやく対岸の町カペナウムで彼を見つけました。しかし、大喜びの群衆とは対照的に、イエス・キリストはむしろひややかな態度を示されました。 「イエスは答えて言われた、『よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたがわたしを尋ねてきているのは、しるしを見たためではなく、パンを食べて満腹したからである。朽ちる食べ物のためではなく、永遠の命に至る朽ちない食べ物のために働くがよい。」(新約聖書ヨハネによる福音書6章2節、27節) いつものイエス・キリストに似ずきびしいことばです。群衆の信仰が気晴らしや遊び程度のものであり、目先のパンに一喜一憂するきわめて現世的なご利やく信仰だというのです。いや、そもそも信仰などとはとてもよべるものではないといわれるのです。もちろん群衆の飢えをいやすためにパンの奇跡を行われたのはイエス・キリストなのですから、彼らがパンを食べて満腹したことをせめておられるのではありません。問題は、何が彼らの信仰の根拠になっているかということです。群衆はパンという現象自体を信仰の根拠としました。しかし、パンそのものはどんなことがあっても信仰の根拠ではありません。生成消滅するパンのようなものが、どうして永遠の世界へのかぎである信仰の根拠となれるでしょうか。信仰の根拠は永遠に神のみ子であるイエス・キリストご自身なのです。信仰の根拠はあのパンではなく、イエス・キリストといこの命のパンなのです。 「わたしは命のパンである。あなたがたの先祖は荒野でマナを食べたが、死んでしまった。しかし、天から下ってきたパンを食べる人は、決して死ぬことはない。わたしは天から下ってきた生きたパンである。それを食べる者は、いつまでも生きるであろう。」(新約聖書ヨハネによる福音書6章48節ー51節。アンダーライン筆者) 信仰とは、何かを信ずることではありません。イエス・キリストご自身を信ずることです。何かを信じる信仰は、その何かが自分の思わくや期待に沿わないとき、たやすくくずれてしまいます。しかし、イエス・キリストご自身を信ずる信仰はそうではありません。たとえ、イエス・キリストの示される道が自分の願望や期待に沿わなくてもそれほどたやすくくずれません。なぜなら、ざせつすることを知らない愛はどのような危機にも耐えることができるからです。 群衆に欠けていたのはこのような信仰でした。彼らは石地に落ちた種のように、イエス・キリストのすばらしい教えとわざを見て直ちに信じましたが、イエス・キリストを愛するという深い信仰体験はしていなかったのです。彼らはイエス・キリストそのものにひかれたのではなく、イエス・キリストのもたらされた現世的な事物にひかれていたのでした。ですから、自分たちの期待が裏切られたと知ると、もうなんの興味も示さなくなってしまったのです。 「弟子たちのうちの多くの者は、これを聞いて言った、『これは、ひどい言葉だ。だれがそんなことを聞いておられようか』。しかしイエスは、弟子たちがそのことでつぶやいているのを見破って、かれらに言われた、『このことがあなたがたのつまずきになるのか』。、、、それ以来、多くの弟子達は去っていって、もはやイエスと行動を共にしなかった。」(新約聖書ヨハネによる福音書6章60節、61節、66節) ガリラヤの危機はついに悲劇的な破局を迎えてしまいました。きのうまで、いや、つい先ほどまでイエス・キリストの熱心なでし、また同調者であった群衆は幻滅と失望のうちにイエス・キリストから離れていったのです。 群衆の悲劇はまたわたしたちの悲劇でもあり得ます。わたしたちも、日々同じような信仰の危機に直面しているからです。パスカルは「神を知ることから神を愛することまではなんと遠いことだろう」と言いましたが、イエス・キリストを愛するという深い信仰だけがこのような重大な危機をのりこえさせてくれるのです。そのとき、わたしたちも十二人のでしのようにイエス・キリストのもとにとどまることができるのです。 「そこでイエスは十二弟子に言われた、『あなたがたも去ろうとするのか』。シモン・ペテロが答えた、『主よ、わたしたちは、だれのところに行きましょう。永遠の命の言をもっているのはあなたです』。」(新約聖書ヨハネによる福音書6章67節、68節) わたしたちはイエス・キリストを離れてだれのところに行けるのでしょう。この悩み、この悲しみを、いったいどこのだれがわかってくれるのでしょう。わたしの心のうつろさ、生きることのむなしさをイエス・キリスト以外のだれが満たしてくれるというのでしょうか。いったいイエス・キリスト以外のだれがほうんとうに愛をもって愛してくれるのでしょうか。そうなのです。永遠の命のことばをもっているのは、イエス・キリストだけなのです。 |
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